ラグビーから日本史を学ぶ
ラグビーワールドカップ日本開催、日本チームの活躍もあり盛り上がりましたね!
今までラグビーをよく知らなかった人も、ラグビーがどんなスポーツでまたその面白さを知ったのではないでしょうか。
塾長なんか大会が始まる1週間前からワクワクドキドキソワソワ。
日本戦のこと考えるだけで吐きそうになるくらいのラグビーファンなので(^^ゞ
これだけ日本中がラグービーで盛り上がってうれしいですね。
「にわかファン」なんて言葉も言われましたが、にわかファン大いに結構じゃないですか。
にわかついでにもう少しラグビーのこと知っていただきましょう!
とはいえここは塾のブログですから、受験勉強にもなる豆知識でーす!
(ホントはラグビーについて熱く語りまくっても良いのですが…笑)
ラグビーはイギリス発祥のスポーツだということはご存知の方も多いと思います。
ではそのラグビーがいつごろ日本に伝わったのでしょうか。
なんと江戸時代末期いわゆる幕末!
ビックリですよね。
江戸時代末期までは鎖国で外国との交易はほとんどありませんでした。
それが1853年ペリーが浦賀に黒船で来航し開国を要求。
翌年日米和親条約を結んで下田と函館を開港。200年以上続いた鎖国政策が終わりを告げました。
その後1858年の日米修好通商条約によって、横浜、長崎、新潟、神戸も開港し交易がはじまりました。
そして、当時貿易の中心は横浜で、主な取引先はイギリスでした。
歴史の授業始まっちゃいました(笑)。
受験生のみんなは当然知ってましたよね。
「ラグビーどうしたーっ!!」
まあまあ、この後出てきますから。勘の良い人はイギリスというワードが気にかかったのでは?
もう少し歴史の授業を続けましょう。(すっかり授業になってます(笑))
<ここからは「nippon.com」で10/31に配信された記事を参照引用させていただきます>
つい最近、英国人歴史家のマイク・ガルブレイス氏が、日本では早くも1860年代に、横浜駐屯の英国兵たちがラグビーを行っていたことを示す証拠を発見した。
彼らは、英貿易商が薩摩藩士に斬殺された「生麦事件」を受けて、横浜の英領事館を守るために派遣されたのだった。
記録によれば、横浜フットボールクラブは1866年に創設されたが、それは世界最古のラグビークラブの一つである。
はい、「生麦事件」1862年ですね。
生麦ってなに?一揆?早口言葉?お父さん生ビールじゃありませんよ!
生麦は横浜近郊の村の名前です。今でも横浜市内の地名として残っています。
神奈川県、特に横浜市の中学生は絶対に押さえておくべき事件ですよ!
歴史上の重要な事件とラグビーにこんなつながりがあったとは驚きです。
開国してすぐ伝わったんですね。
生麦事件後領事館を守るため派遣された英兵とは面白い。強そうですね。
それがまたこの横浜の地であることも印象深いですよね。
教科書や問題集だけではなく、こんなラグビーの豆知識からも歴史を学べたりするのです。
しかもこういったことで知った知識は印象深く記憶されるので結構忘れません。
これで入試もバッチリですね(笑)
さて、今日はいよいよラグビーワールドカップ決勝戦です。
奇しくも決勝戦にイングランドが勝ち残り、その決勝戦の舞台がこの横浜!
明治維新直前に日本で初めて行われたラグビーの試合会場からとても近い、横浜国際総合競技場で開催されるというのは感慨深い。
150年以上の時をこえ、英国戦士たちの熱い戦いが重なり合う。
ああ胸アツです!
2019年11月2日